【HOME】 | 【それ行け、小隊長!】俺(だんな)の自衛隊 時代の体験記です! | ||||
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1.着任初日 2.残弾処理 3.対空射撃訓練 4.スキー訓練 | |
このページは俺が自衛隊で体験した事実を忠実に書き記したも
のである。 10年以上の時間が経過しているとはいえ、まだ当時の関係者で現役の自衛官もいるので、名前・場所・時間等詳細に記せない事をお許し願いたい。中には自衛 隊に対しかなり痛烈に批判めいたことも書いてはあるが、どうか勘違いしないで欲しい!俺は当時から現在に至るまで自衛隊を愛しているし、今日この時にも祖 国を守るために訓練に励んでいる隊員を誇りに思っていることを! |
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EPISODE1(着任初日) | |
10月の初旬、久留米にある陸上自衛隊幹部候補生学校における6ヶ月の
課程を終えた俺は、最初の赴任地である東北のとある部隊へ到着した。到着後まず連隊長室に案内された。がちがちに緊張しながらも着隊の挨拶を終えるとすぐ
さま中隊に連れて行かれて俺の自衛隊生活がスタートした。 |
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※雑用にもいろいろあるが、ここでは一番手間がかかり、しかも自衛隊独特のものとして半 長靴の手入れを紹介しておこう。半長靴は隊員全員に貸与されている訓練用のブーツで、皮製で靴底も厚く非常に丈夫なものである。隊員は皆これをま るでピカピカであることが隊内でのステータスででもあるかのように精魂こめて手入れする。俺の例でいえば小学校時代に始めて親から買い与えられたグローブ くらいに何度も何度も油を塗りこんで艶をだした覚えがある。中でも皆が争うように磨きこんでいたのはそのつま先の部分である。古参の隊員の半長靴のつま先 部分など大理石のようにピカピカで顔が映るくらいに磨きあげてあったものだ。一度そこまでにする秘訣を教えてもらったことがある。貸与品の靴墨をごってり とつま先部分に付け、ライターの炎でその靴墨の表面がこげるくらいに熱した後、冷えるまで待ってからやわらかい布(これも貸与品の薄い靴下を利用していた と思う)で少しずつ小さい円を描くように丹念に磨き、この過程を何度となく繰り返すというものだった。こういった手間のかかる雑用も当然に新隊員にまわっ ていただろう。以前みたリチャードギア主演の「愛と青春の旅立ち」のワンシーンでギアが新品のブーツやベルトのバックルを部外者から横流ししてもらい、こ れを同僚の隊員に売るというシーンがあったが、まさにどこの軍隊も同じなんだと思い、思わずニヤリとしたことを思い出した)。 |
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EPISODE2(残弾処理) | |
年度末(3月末)も間近に迫った土曜日だった思う。副長(副中隊長)と一緒に何人かの隊
員を連れて実弾射撃に行って来いとの命令が下った。陸上自衛隊の駐屯地には目立たぬ所に弾薬庫があり、弾薬庫には各種実弾(小銃弾・拳銃
弾・重機関銃弾・迫撃砲弾・手榴弾・無反動砲弾等)が格納されている。ちなみ俺がいたのは普通科(歩兵)連隊だったので戦車部隊で使用する
戦車砲弾や特科(砲兵)部隊で使用する砲弾は当然のことながら格納していなかった。弾薬も毎年古いほうから使用していくように管理されているが、年度末に
なるとその年の予定使用量を満たしていないと、実弾射撃がやたら増えるという具合だ。俺たちはこれを「残弾処理」と
称していたわけだが、つまりその年の内に使用してしまわなければならない弾を射撃で撃ちまくってくるのだ。 |
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EPISODE3(対空射撃訓練) | |
冬のある日、他の中隊の隊員も引き連れてうちの中隊が主となって対空射撃訓練を行うこと
になった。射撃場は青森県の六ヶ所村。今でこそ核燃料の再処理工場なんかで有名になっている同村だが、たしか当時六箇所村に入って海に面した射撃場に着く
まで湿地帯のような場所を走り、雪もちらついていたせいかひどく寒々しくて人も見かけなかった記憶がある。しかし、今思えばそれは静かな村にどかどかと
入ってきてガンガン射撃だけして去っていく無法者(自衛隊)が、少しでも村民を刺激しないようにしようとした隊長の計らいだったのかもしれない。 |
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EPISODE4(スキー訓練) | |
2月のある週、連隊の新隊員を中心にスキー訓練を行うことになっ
た。うちの中隊長を長として総勢100人近くの訓練隊だ。隊員を3トン半のトラックの荷台に詰め込み5台程の隊列を組んで俺達は訓練場へと向った。(ト
ラックでの人員輸送だが、隊員を乗せる荷台はホロを被せただけなので、走ると後部の幌の隙間から自分のトラックの排気ガスが巻き込まれてきて隊員は頭痛や
吐き気に苦しむし、降雪時はあちこちの隙間から雪が舞い込んでくるので顔まですっぽりと防寒具に包み込んで輸送中じっと我慢しているのだ。) 宮城県のある温泉町の郊外に自衛隊の訓練用宿舎があり、俺達はここで1週間の予定で訓練を行う予定だった。 翌日から早速スキー訓練が開始された。ここでスキー訓練について説明しておこう。訓練はゲレンデを滑り降りる「滑るスキー」ではない。クロスカントリーば りの「走るスキー」だ。山間部をライフルを背負ってひたすら走るのだ。自衛隊員が使用するスキー板はごつい木材でできていて、まず折れることはないが重く て小回りがきかない。ビンディングは皮革でできている。ストックの素材は驚くなかれ「竹」だ。当然によく折れる。 訓練初日には1周数キロのコースを全員で2列縦隊になってしっかりとしたスキー跡をつくるコースづくりだ。 このコースを30秒程度のタイム間隔でス タートしていくのだ。俺もある程度スキーはしていたほうだが、この「走るスキー」は初めての体験だったので、スタート早々からこけまくり、他の隊員にどん どんぬかれていく始末だった。小銃はあたかも忍者が背中に刀をかつぐように背負うのだが、走るにつれて小銃ががたがた背中で動いて、そのおかげで小銃の小 さい突起が背中に当たって背中の皮がむける。(背中で動かないようにきつく締めると胸を圧迫して呼吸が苦しくなるし、緩めると背中がむけるといった具合 だ)心得た隊員は小銃の突起部をガーゼ等でくるんでクッションにしていたようだ。 さて、1日中訓練でへとへとになった隊員達にとって一番の楽しみの時間が夜の点呼から消灯までの時間だ。部隊内の部屋では禁酒だがこうして隊外へでてき たときは別だ!みんなで酒を持ち寄って毎日が宴会だ。女性がいないのでなんとも色気のない宴会だが、人数も多いので毎日一升瓶が何本も空になっていく。 何日目かの訓練を終えた朝のことだった。訓練宿舎に警察から連絡が入った。夜中に宿舎近くの旅館の客室から現金の入ったカバンが盗まれたというのだ。な ぜ我々自衛隊の宿舎に警察が連絡してきたのかというと、その旅館の周辺の雪の上に自衛隊の半長靴(ブーツ)の足跡がもろに残っていたというのだ。通常の長 靴と違い自衛隊の半長靴の靴底は他に例がないといっていいくらいに特徴的なのである。 青くなった中隊長は、早速隊員を招集し、我々幹部に一人ずつ身体検査までして隊員の持ち物を検査するように命じたのである。中隊長としては隊員の中に犯 人がいないよう祈る気持ちでいっぱいであったであろう。・・・・・ 風呂の脱衣場を利用して我々幹部数人で隊員を目の前でパンツ一丁になるまで身体検査をして持ち物をすべて検査した。俺自身、隊員の身体検査をしながら非 常に情けない思いがしたし、事件に関係がない隊員にとっても憤りを感じていたに違いない。訓練隊舎内には重苦しい雰囲気が充満していたし、中隊長としては 一刻も早く事件に決着をつけたかったのだろうが、盗まれたカバンはその日ついに探し出すことはできなかった。 翌日、何事もなかったかのうように俺達は訓 練にでかけたが、中隊長をはじめとする上級幹部は隊舎に残り隊員がいなくなった隊舎内を徹底的に捜索したがこれまた何もでてこない。後で聞いたことだが、 中隊長には隊員からの情報で、事件の夜に隊舎外に出た可能性のある隊員がつかめていたそうだ。訓練を終了して隊舎に戻ってきたその隊員を呼びつけ詰問した ところついに白状したらしい。その隊員はなんと訓練中も盗んできたカバンを背嚢(リュックサック)の中に入れて訓練していたのだ。身体検査の際には多分 ベッドのマットレスの下にでも入れておいたのだろうと思う。とにかく中隊長は警察にこのことを報告しその隊員は逮捕された。 事件はその日の内にマスコミに伝わり夕方のNHKの全国版ニュースにも取り上げられたのを覚えている。翌日、俺達はそそくさと隊舎を後にして原隊への岐 路についた。 とにもかくにもこのスキー訓練は印象の深い出来事であり、また今振り返ってみると俺にとって自衛隊を辞める決心をさせたのもこの事件だったと思う。 |
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戦闘訓練(IN 富士学校) | |
幹部候補生学校を卒業と同時に3等陸尉に任官した後、俺も含め同期の連中は各赴任先へばらばらに散って
行ったわけだが、数ヵ月後BOC(Basic Officers Course 幹部初級課程)に入校するため(陸上自衛隊の場合は静岡県の御殿場にあ
る)富士学校に集められた。ここではこのBOCでの体験を述べたいと思う。 BOCでは文字通り幹部としての基本的な素養を身につけさせるために、訓練や座学(教室での授業)が行われる。ある日、当番持ち回りで俺が班長の日に戦 闘訓練で演習場へ出かけたときだ。たしか昼からの訓練だったと思うが出発のときからどうも天候がくずれるような雲ゆきだった。予定どおり俺達は泥にまみれ ながら戦闘訓練や突撃訓練を行っていたのだが、案の定雨が降りだした。皆、当然カッパやポンチョを携帯しているので雨くらいでは別に驚かないのだが、この 日は雷雲が発生していたらしく、遠くのほうで雷鳴が鳴り響いており、その音がどんどん近くなってきているのだ。落雷も遠くで見え始め雲からバリバリと地面 まで到達しているのが見えた。教官はさすがに危険を感じ、皆が携行している銃を脚を立てて一箇所に集めさせ、さらに身につけている金属も極力はずして銃と 一緒にかためて置いておくように指示し、銃を集めた場所からかなり離れたくぼ地に皆を避難させた。 (余談:富士学校の周辺には、富士の広大な裾野を利用して東富士演習場や北富士演習場といった、自衛隊の演習場所が各所に点在しており、入校中はこれらの 演習場を走り回らされたものだ。裾野であるため、快晴の日にはかなり山すそまで見渡すことができ、その絶景を見ながらの訓練後のタバコはうまいの一言につ きる・・・。また富士周辺でキャンプしたことがある人ならお分かりだと思うが、夜間訓練で歩哨にたつときなどはその星空の美しさにはついつい見入ってしま うくらいだ。普段あまり夜空を見上げることなどないが、夜間訓練中は照明もなにもなく新月の日などはほとんど手探り状態で前へ進まなければならないため、 必然的に明かりのある星空へ目がいく。すると夜間飛行のジェット機の点滅する光や流星が目に飛び込んでくるのだ。富士にいた6ヶ月間で流星を数十個見たと 思う。また、先のジェット機の光を見ながら、「俺はこんな富士の原野で何をしているんだろう」と感傷的にもなったのを思い出す。 余談の余談になるが、夜間歩哨時等の喫煙の仕方で覚えていることを書いておこう。火をつける時が一番光量を発するので特に注意が必要で、着火するときは完 全に周囲に光がもれない場所(たこつぼ内等)でするしかない。さらに着火後もタバコの火を手で覆うようにして吸わないと光が漏れることになる。煙を吸うと きには吸っていないときの数倍にも光量が増すため特に注意が必要だ。訓練中も教官が数百メートル離れたところでタバコを吸わせたことがあったが、暗闇に小 さい赤い点がくっきり見えた。あれではたしかにこちらのいる位置を教えてしまうし、格好の標的となってしまうだろう。) さて、話を雷に戻そう。くぼ地で身を低くして雷雲が過ぎ去るのを待っていた俺達だが、ようやく雷雲も遠のいたのでそそくさと学校への岐路についたのだっ た。帰隊後、早速雨で濡れた銃や機関銃を手入れにかかり、班長である俺は最終的に武器庫ですべての銃が格納されたかを確認していた。武器は全て台座が用意 されており、自分の銃はもちろんだが機関銃等もすべて格納する台座に立てかけるため揃っていないと人目で分かるしくみになっている。個人の銃の確認を終え た後、機関銃の台座を点検するとまだ1丁が格納されていない。まだ手入れが終わっていないんだろうと思い、急がせるつもりで隊舎に行くと全員が銃は返納し たと言う。少し青くなった俺は本日機関銃手に当たっていた5人に聞くとやはり一人が朝は持っていったが帰りはだれかが持って帰るだろうと勝手に思い込み自 分の銃しかもって帰らなかったというのだ。通常戦闘訓練を行う場合には機関銃手の役も持ち回りで行うので、全員が自分の銃も携行した上でさらに割り当てら れた数人が機関銃も携行するという具合だ。 俺は早速教官室に飛び込み事情を話すと、教官はすぐさま俺をジープに乗せ演習場へと急いだ。すると全員がかためて銃をおいた場所にぽつんと機関銃が1丁寂 しそうに置いてあったのだ。俺も教官もホット胸をなでおろしたのだが、なんともお粗末な話しであった。雨で体もびしょぬれになり、みんな早く隊舎に帰るこ としか考えていなかったため、誰一人として最終的に銃が残っていないかを確認していなかったのだ。 無事に機関銃がみつかったから良かったものの、あの時もしみつからなかったらどうなっていただろうと思う。 |
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つづく・・・ |
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